【信託シリーズ①】家族信託とは?認知症による「資産凍結」に備える仕組みを図解
「父が認知症になったら、実家は売れるのだろうか」——ご相談の場で、いちばん多く聞くご不安のひとつです。
結論から申し上げます。認知症などで判断能力が失われると、その方の預金も不動産も、原則として動かせなくなります。これを実務では「資産凍結」と呼びます。そして、凍結してからでは、遺言も贈与も信託も、もう間に合いません。
この連載では、その備えのひとつである**家族信託(民事信託)**を、5回に分けて整理します。第1回は「そもそも信託とは何なのか」です。
※本記事は令和8年8月17日現在の法令・公表情報をもとに作成しています。個別の設計は財産の内容やご家族の状況によって異なりますので、実行前には必ず専門家にご相談ください。
この連載(全5回)の構成
| 回 | テーマ |
|---|---|
| 第1回(この記事) | 家族信託とは何か|仕組みと登場人物 |
| 第2回 | 遺言・成年後見・生前贈与との違いと使い分け |
| 第3回 | 家族信託が有効な5つの場面 |
| 第4回 | 信託の税金|誰に、いつ、何の税金がかかるのか |
| 第5回 | 失敗しないための注意点|遺留分・30年ルール・信託口口座 |
1. 家族信託とは、「名義」と「利益」を分ける仕組み
信託とは、ひとことで言えば**「財産の名義を信頼できる人に移し、その財産から利益を受ける権利は、必要な人に残しておく」**という仕組みです。
普段、私たちが持っている「所有権」は、次の2つが一体になっています。
- 管理・処分する権利(売る、貸す、修繕する、預金を下ろす)
- 利益を受ける権利(家賃をもらう、生活費に使う、住み続ける)
信託は、この2つを切り離します。管理・処分する権利は受託者(財産を託される人)へ、利益を受ける権利は受益者(利益を受ける人)へ。この分離こそが、信託の心臓部です。
ここが最大のポイントです。財産の名義が受託者に移っているため、もとの持ち主(父)の判断能力が失われても、受託者である長女が有効に売買や修繕の契約を結べます。「本人でなければ動かせない」という壁を、あらかじめ外しておく仕組みなのです。
なお、「信託」という言葉は法律上、次のように定義されています。
特定の者が一定の目的(専らその者の利益を図る目的を除く。)に従い財産の管理又は処分及びその他の当該目的の達成のために必要な行為をすべきものとすること(信託法第2条第1項)
かっこ書きに「専らその者の利益を図る目的を除く」とあります。つまり、受託者が自分だけのために財産を使うものは信託ではありません。信託は、他人のために財産を預かる制度です。
「家族信託」「民事信託」「商事信託」の違い
| 呼び方 | 受託者になる人 | 特徴 |
|---|---|---|
| 民事信託 | 営業として行わない人(家族・親族など) | 信託報酬を得て反復継続的に引き受けるのでなければ、免許は不要 |
| 家族信託 | 家族・親族 | 民事信託のうち、家族が受託者になるものの通称。法律上の用語ではありません |
| 商事信託 | 信託銀行・信託会社 | 営業として引き受けるため、信託業法上の免許・登録が必要 |
この連載で扱うのは、**家族が受託者になる「家族信託」**です。信託銀行の「遺言信託」「暦年贈与信託」といった商品とは別物ですので、混同しないようご注意ください。
2. なぜ今、信託なのか|認知症は「例外」ではなくなった
信託が語られる背景には、認知症の広がりがあります。厚生労働省が公表している将来推計は次のとおりです。
| 年 | 認知症の高齢者数 | 認知症の有病率 | MCI(軽度認知障害)の高齢者数 |
|---|---|---|---|
| 令和4年(2022) | 443.2万人 | 12.3% | 558.5万人 |
| 令和7年(2025) | 471.6万人 | 12.9% | 564.3万人 |
| 令和12年(2030) | 523.1万人 | 14.2% | 593.1万人 |
| 令和22年(2040) | 584.2万人 | 14.9% | 612.8万人 |
| 令和42年(2060) | 645.1万人 | 17.7% | 632.2万人 |
2022年時点で、認知症とMCIを合わせた割合は高齢者の約28%。厚生労働省の資料も「誰もが認知症になり得る」という前提に立っています。もはや「うちは大丈夫」と言い切れる数字ではありません。
3. 「資産凍結」とは、具体的に何が起きるのか
判断能力が失われると、その方は有効な意思表示ができない状態になります。契約は本人の意思があってこそ成立しますから、次のようなことが起きます。
| 場面 | 判断能力が失われた後に起きること |
|---|---|
| 預金の払戻し | 金融機関が本人確認・意思確認をできず、口座が事実上凍結される |
| 定期預金の解約 | 本人の意思確認ができないため、原則として解約できない |
| 自宅の売却 | 売買契約も、所有権移転登記の申請も本人の意思が必要。売れない |
| アパートの大規模修繕 | 高額な工事請負契約を結べず、建物が傷んでいく |
| 賃貸借契約の更新・新規募集 | 貸主として契約できず、空室が埋まらない |
| 生前贈与・遺言の作成 | もう作成できない(作成しても無効になるおそれ) |
| 遺産分割協議への参加 | 相続人が認知症の場合、協議そのものが進められない |
特に重いのが「施設に入るために実家を売って費用に充てたい」という場面です。介護費用を工面するための売却が、まさに介護が必要になった時点でできなくなる——この矛盾に、多くのご家族が直面します。
実際、家庭裁判所への成年後見の申立ての動機を見ると、この構図がはっきりと表れています(令和7年、最高裁判所の統計)。
| 主な申立ての動機 | 件数 | 割合 |
|---|---|---|
| 預貯金等の管理・解約 | 39,871件 | 93.4% |
| 身上保護 | 31,655件 | 74.2% |
| 介護保険契約 | 19,502件 | 45.7% |
| 不動産の処分 | 15,502件 | 36.3% |
| 相続手続 | 10,909件 | 25.6% |
(注:1件について動機が複数ある場合があるため、合計は終局事件総数42,674件と一致しません)
9割超が「預貯金を動かせなくなった」ことをきっかけに、家庭裁判所へ駆け込んでいるわけです。裏を返せば、元気なうちに手を打っておけば、この駆け込みの多くは避けられます。
4. 信託の登場人物|3人+見守る人
信託には、原則として3つの立場があります。
| 立場 | 法律上の位置づけ | 役割 |
|---|---|---|
| 委託者 | 信託法2条4項 | 財産を託す人。信託の目的・条件を決める |
| 受託者 | 信託法2条5項 | 財産の名義を持ち、目的に従って管理・処分する人 |
| 受益者 | 信託法2条6項 | 信託財産から利益を受ける人。税金はこの人にかかる(第4回で詳述) |
| 信託監督人 | 信託法131条 | 受益者のために、受託者を監督する人 |
| 受益者代理人 | 信託法138条・139条 | 受益者に代わって権利を行使する人。受益者が高齢・未成年・障害をお持ちの場合に有効 |
家族信託の典型例では、父が委託者と受益者を兼ね(自益信託)、長女が受託者になります。父の財産を父のために管理するのですから、実質的には何も変わりません。変わるのは「手続きを誰ができるか」だけです。
受託者は「便利な代理人」ではありません
ここは強調しておきたいところです。受託者は名義人になる代わりに、法律上、非常に重い義務を負います。
| 義務 | 条文 | 内容 |
|---|---|---|
| 善管注意義務 | 信託法29条2項 | 善良な管理者の注意をもって信託事務を処理する |
| 忠実義務 | 信託法30条 | 受益者のために忠実に行動する |
| 分別管理義務 | 信託法34条 | 信託財産と自分の財産を分けて管理する。登記できる財産は信託の登記が必須(免除できない) |
| 帳簿等の作成・報告義務 | 信託法37条 | 帳簿を作り、年1回、受益者に財産状況を報告する |
なかでも分別管理義務は要注意です。不動産については、信託の登記をする義務は信託契約でも免除できません(信託法34条2項)。「登記費用がもったいないから登記なしで」は、法律上できない相談です。
5. 信託の始め方は3通り(信託法3条)
| 方法 | 効力が生じるとき | 使われ方 |
|---|---|---|
| ① 信託契約 | 契約を結んだとき(または契約で定めたとき) | 家族信託の大半がこれ。公正証書で作るのが実務の標準 |
| ② 遺言による信託 | 遺言者が亡くなったとき | 「自分の死後、障害のある子のために財産を管理してほしい」など |
| ③ 自己信託(信託宣言) | 公正証書などで意思表示をしたとき | 自分が自分の財産の受託者になる。公正証書等が必須 |
家族信託でまず検討するのは①の信託契約です。実務では、後の紛争や金融機関での取扱いを考えて、公証役場で公正証書にするのが標準的な進め方になっています。
6. 「自益信託」と「他益信託」——税金の入口はここ
信託を設計するとき、税務上の分かれ道になるのが「受益者が誰か」です。
- 自益信託(委託者=受益者)…実質的な持ち主が変わらないため、設定時に贈与税はかかりません。家族信託のほとんどはこの形です。
- 他益信託(委託者≠受益者)…ただで財産を渡したのと同じとみなされ、受益者に贈与税がかかります(相続税法9条の2第1項)。
「信託は名義を移すのだから贈与税がかかるのでは?」と心配される方が多いのですが、税法は名義ではなく、利益を受ける人を見ます。ここが信託の税務の出発点です。詳しくは第4回で解説します。
7. 信託でできること・できないこと
| できること | できないこと |
|---|---|
| 判断能力が落ちた後も、受託者が財産を管理・処分できる | 相続税そのものを減らすこと(信託は節税策ではありません) |
| 二次相続・三次相続の承継先まで指定できる(第3回・第5回で解説) | 受託者が本人に代わって入院・介護の契約を結ぶこと(身上保護は対象外) |
| 共有不動産の管理・処分の窓口を1人にまとめられる | 信託していない財産を管理すること(信託財産に入れたものだけが対象) |
| 障害のあるお子さまへ、毎月一定額を計画的に渡し続けられる | 遺留分をなくすこと(第5回で解説) |
| 亡くなった後の財産の渡し方も同時に決められる | 受託者が財産を自由に使うこと(忠実義務違反になります) |
「信託をすれば相続税が下がる」という説明を受けたら、いったん立ち止まってください。 信託は財産の管理と承継の「器」であって、税負担を軽くする制度ではありません。むしろ第5回でお伝えするとおり、税務上は不利になる場面(信託した不動産の赤字が切り捨てられる等)があります。
8. 信託の利用は増えている。ただし、まだ少数派
内閣府の規制改革推進会議に提出された資料(広島弁護士会の弁護士による報告)によると、民事信託の公正証書の作成件数は次のように推移しています。
| 年 | 民事信託の公正証書 作成件数 |
|---|---|
| 2018年 | 2,223件 |
| 2019年 | 2,974件 |
| 2020年 | 2,924件 |
| 2021年 | 3,200件 |
| 2022年 | 3,960件 |
| 2023年 | 4,434件 |
同資料では、私文書での契約も含めると全体では年1万〜1.5万件程度と推測されています。他の制度と比べてみましょう。
同資料は、普及が進まない理由として次の5点を挙げています。
- 民事信託の知名度が十分でない
- 担い手である専門家が不足している
- 正確な情報が分かりにくい
- 信託口口座を容易に準備できない
- 公証役場の手続に手間がかかる
4番目の「信託口口座」は実務で本当に壁になるところです。第5回で詳しく取り上げます。
よくある質問
Q1. 家族信託をすると、親の財産は子のものになってしまうのですか?
いいえ。移るのは「名義」と「管理・処分する権限」だけで、財産から利益を受ける権利(受益権)は親に残ります。受託者になった子は、親のために管理する義務を負う立場であり、勝手に自分のために使えば忠実義務違反となり、損失をてん補する責任を負います。
Q2. 認知症と診断されてしまいました。もう信託はできませんか?
信託契約は本人(委託者)の意思能力が前提です。診断名だけで一律に不可となるわけではありませんが、契約の意味を理解できる状態でなければ、有効な契約は結べません。判断能力が失われている場合は、成年後見制度によることになります。迷われる段階であれば、早めにご相談ください。
Q3. 受託者は誰でもなれますか?
未成年者は受託者になれません(信託法7条)。それ以外に法律上の資格は不要ですが、信託は長期にわたる仕組みですので、年齢・健康状態・お金の管理が几帳面かどうか、他のご家族から信頼されているかを考えて選ぶ必要があります。受託者が先に亡くなる事態に備え、次の受託者を契約で決めておくことも欠かせません。
Q4. 財産のすべてを信託しなければいけませんか?
いいえ。信託の対象は契約で決めた財産だけです。日々の生活費の口座は本人の手元に残し、実家と管理用の資金だけを信託する、という設計が一般的です。むしろ全財産を信託する必要はほとんどありません。
Q5. 費用はどのくらいかかりますか?
財産の内容・不動産の数・公正証書にするかどうかで大きく変わります。一般に、契約書の設計・作成の専門家報酬、公証人手数料、不動産があれば信託登記の登録免許税と司法書士報酬が必要です。成年後見のように毎年の報酬が一生涯続く費用構造ではなく、初期に費用が集中するのが特徴です。金額の目安は、財産の内容を伺ったうえで個別にお示しします。
まとめ
- 家族信託は、財産の「名義・管理権」と「利益を受ける権利」を分ける仕組み
- 名義が受託者に移るため、本人の判断能力が失われた後も、受託者が手続きできる
- 認知症の高齢者数は2040年に584.2万人、MCIを含めると高齢者の約28%(2022年時点)
- 成年後見の申立ての**93.4%が「預貯金の管理・解約」**がきっかけ。凍結してからでは遅い
- 登場人物は委託者・受託者・受益者の3人。家族信託の多くは委託者=受益者の「自益信託」
- 自益信託なら設定時に贈与税はかからない。他益信託なら受益者に贈与税
- 受託者は便利な代理人ではなく、忠実義務・分別管理義務など重い義務を負う立場
- 信託は節税策ではありません。管理と承継のための「器」です
次回は、「では遺言や成年後見とどう違うのか、どう使い分けるのか」を、比較表で徹底的に整理します。
ご参考(令和8年8月17日現在)
- 信託法(平成18年法律第108号)第2条、第3条、第29条〜第37条、第131条、第138条、第139条
- 相続税法(昭和25年法律第73号)第9条の2
- 国税庁「No.4427 新たに信託の設定等を行った場合」
- 厚生労働省「認知症および軽度認知障害(MCI)の高齢者数と有病率の将来推計」(令和5年度老人保健事業推進費等補助金・九州大学 二宮利治教授の研究をもとに作成)
- 最高裁判所事務総局家庭局「成年後見関係事件の概況―令和7年1月~12月―」
- 日本公証人連合会「令和7年の遺言公正証書作成件数について」
- 内閣府 規制改革推進会議 デジタル・AIワーキング・グループ(第2回)資料1-1「民事信託の実状と課題」(2025年3月13日・広島弁護士会)
家族信託を検討すべきかどうかは、財産の内容・ご家族の状況・想定される相続税によって答えが変わります。「まず、うちに必要なのかどうかを知りたい」という段階でかまいません。税理士と行政書士の両方の視点から、遺言・後見・贈与も含めて比較したうえでご提案します。板橋区・大山の当事務所までご相談ください。
なお、信託契約書の作成にあたっては公証役場での手続き、不動産の信託登記は司法書士、ご家族間に争いがある場合は弁護士と、それぞれ提携の専門家と連携して進めます。